伊豆の国からこんにちは  鉄左衛門の行政ふれあい日記+(plus) 改め

[美人湯の聖地]伊豆長岡・古奈温泉で政子ちゃんを授かろかい準備室 並びに                        [伊豆の雄]伊豆の国市 議会行政市長を熱く激しく温かく見守るかい?//編書

韮山郷土史料館 平成29年5月30日にてその史を閉じ 展示も素晴らしいが学芸員さんが素晴らしい

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 齢(よわい)85を過ぎ、俄然と歴史に興味を持ち始めた。
地元の美女、政子さんに恋してしまったのです。その恋敵・八重姫様にも。
すべては恋から始まる。歴史を習うことに於いてもや。
外国語を習うのも一番いいのは外人さんと愛しあう関係で教え教わるのが一番とか。
知り合いの他称知識人に、「あんたの住んでる所は歴史の宝庫なんだよ」と言われ続けていたけれど、歴史というと「あっしには、関わりねえ事でござんす」、木枯らし紋次郎になってしまっていた。紋次郎を知っとるけ? 江戸時代のアナキストなり。


韮山郷土史料館が今月30日をもって新たな廃墟候補になるというので、旧韮山町民になって以来20年で初めて行ってみた。

 

(古くはロープウェイ、駐車場の奥の‘廃墟’が、旧伊豆長岡町の郷土資料館だったらしい)。

 

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「トンネルを抜けるとそこは廃墟であった」
川端康成ノーベル先生のマネッ子でした。
まったく「尾も白くない」。([C]山口瞳先生)

 

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ここに何が展示されていたのか、何が所蔵されていたかも、もう分らないそうな。
あぁ、歴史遺産は何処。

 

 

 韮山郷土史料館では、「さようなら 韮山郷土史料館」という、マンマの企画展をやっていた。
面白かったです。
これまでの企画展のパンフレットが多々あり、「伊豆の風景」「黎明期の写真師」「幕末のアーティスト」「はっくつ 伊豆の国」「最後の韮山代官」等々、何故にして私に教えてくれなかったの? 知ろうとしない私がいけませんでした。
ひらめいて、(最近よく「長島茂雄ロード」を歩くもので、よく閃く。何故か私は長島茂雄さんを「考えナシの閃きの人」と思い込んでいるので、閃きに取り付かれているのです)「代官屋敷という飯屋さんは江川さんチを真似してネーミングしたんだね」と受付のおねえさんに言ったら、真面目に受け止めていただけて、江川邸だと思って代官屋敷に行く人もいるんですって。そこまでヨんで店名をつけたんだ、アッタマいい! 伊豆には妙に商売熱心な方がたまに居る。堂ヶ島の超追し付け売りババアとか。あの方々は何か買わないと帰してくれなかった。ババアさんチ、まだ居ますか? 代官屋敷は間違って入っても、只で帰してくれるもんね? 入邸料、取られる?
どこが歴史に興味を持った人間の閃きなのだろうか?


もう一つ私は韮山城に興味を持った。「廃城」もブームとかでYouTube韮山城跡を散歩する動画を発見したのです。
史料館の2階に韮山城のミニチュア(?)がガラスケースの中に復元してあり、その説明の地図がとても良く出来ていて、お願いしたら、コピーをいただけた。かたじけない。
偶然、文化振興課所属の学芸員さんがいらして、無知なお爺さんにご親切な説明をしてくれた。
航空写真で見るとお城にはかなり大きな外周の外堀があるのが解り、近くのその辺の田圃をちゃんと調べれば内堀もあるそうな。
史料館にも歴女やら城女、廃女(?)が出没して、「物凄くマニアックな質問があります」なんて学芸員さんは楽しそうに語った。すいません、書き忘れましたが、学芸員さんは女性です。
それでは私も長年に渡る誰にも訊けなかった大きなクエスチョン、「歴代の天皇の中に100歳以上生きたという人がいるが本当でしょうか? そういうこと言うから天皇制への信頼が損なわれるような気がします」を初めて述べた。変な人に訊いて、戦前は不敬罪、今度は凶暴罪? 共謀罪? で捕まっちゃうとか、怖いじゃない。
学芸員さん、曰く。しかしご回答は私の理解できる範疇を大幅に超え復元できないのでした。ひとつだけ耳に残ったのは、「そういう神話が何故できたかを考えることのほうが重要なんです」。
天皇家の系図は南北朝以降は信憑性があるのですと。よかった。
ご回答を理解できかねたもうひとつの理由、もうこの辺りから私は舞い上がり始めたのでした。私は「伊豆の寅」と陰で呼ばれるが如く、ご迷惑を顧みず誰彼かまわずすぐに好きになる癖がある。癖が出たのでした。その心を隠すのに神経がいってしまい、話が上の空になるのでした。

再び学芸士さん曰く、「歴史」とは「勝者の歴史」なり。
恋に破れた八重姫様の由来が少ないのは其の為か。では私が書いてしんぜようと思ったら、すでに「伊豆日日新聞」にて、佐藤三武朗さんが書いてるんだって。なんでぇ、ッチェッなんて言ってないで拝読するように。
前回も書いた(どこに?)、「政子さんをもっと売り出そうキャンペーン」の話をしたら、政子さんの弟の北条ナントカさんも良いのですと。理由は、すいません、勉強します、理解不能でした。我が国には、まだまだ隠れた人材がいるじゃないですか。
博学強記(と書いたら辞書にない。これアリですよね? 学芸員様)の学芸員様、 他国に関する博学も繰り出してくれて、目から鱗の楽しい一時間でした。知る楽しさ、想像する楽しさ、学問の楽しさ、そしてそれを伝える楽しさを体現している方でした。
うーん、私はどうしてこうも褒め下手なんだろ。
もっともっと賞賛したいよ~。


世界遺産の入場者が予想通り減少で、関係各位は頭を使っているらしい。
世界遺産の修復問題の時か、イケメン学芸員さんがTVニュースに出演して鮮やかに説明をして、次の日からおばさん入場者が倍増したという噂を聞いた。
もうひとつ、JKマドンナ・ガイドさんが大評判とか。(「JK」の意味をいまだに掴みかねているが、「女子高生」の意でいいの? もっと隠語的意味はないですよね?)。
そして私が恋した学芸員様の博学強記。
こうした人間文化財の方々のおちからをお借りして挽回するのです。
ご近所には優秀なJK様が集う学び舎あり。JK様にはガソリン代程度なんて言ってないで、時給でぐっとぐぐーと謝礼。その分、セクハラではありますが、スカートは少しだけ短めにしていただく。おじさん万来。
どうだ、楽しかろ?

学芸員の方々。研究ばかりしてないで、もうちょっと人前に出てきて、‘芸’? ‘学’? を見せてください。
我が市にはレクチャー・コンサートという誇るべき無料音楽会がありますが、これも文化振興課管轄だ、ヒストリー・レクチャー・活、如何でしょうか? 「活」は婚活とか就活の「活」ね。ネーミングは今一歩ね。

 

 

 

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市制10年を過ぎても、まだ「町立」の看板。
関係課糾弾を考えていたが、良き学芸員様にお会いでき、小さな事にとらわれるのはやめた。
歴史は広く深い高いぞ。私もチマチマしてないで大きな心を持つのだ。とっても希望が湧いてきた。